peter saville interviewピーター・サヴィル・インタヴュー(2003)

インタヴュー: 熊谷朋哉
通訳: 海野大
撮影: 多田アキヲ、渡部伸
協力: ラフォーレミュージアム原宿

 2003年10月25日-11月9日まで、ラフォーレミュージアム原宿にてピーター・サヴィルの回顧展が開かれた。ファクトリー・レコードの伝説的なデザイナー/アートディレクターのその全貌が、初めて日本で明らかにされることになった。

 こちらからのインタヴューのオファーに対し、サヴィルからは注文が寄せられた。同じような質問にはうんざりしている、「ファクトリーとの関係はどうだったのか」「多様なデザインの原点にあるイメージはなんなのか」「音楽とデザインには共通性はあるか」……。今回のインタヴューではそういう質問はやめて、筆者の側で作品を何点か選んで意見を出してほしい、それについて話をしようと。

 映画『24アワー・パーティー・ピープル』でも描かれているように、ファクトリーではポップ・ミュージックがある意味ファイン・アートとして扱われた。その理想主義がファクトリーを経済的な破綻へも導きもするわけだが、しかし、その最良の部分がこの男のなかで全く衰えぬことを見せつけてくれた。善かれ悪しかれ、ニュー・ウェーヴの最もファイン・アートに近い姿をここに認めることが出来るだろう。(一見)やる気無し、打算無し、ハッタリ無し、つかみどころ無し、そしてなによりも悪意が無し。ここまでの人物だったとは。こういう人物にはこちらもストレートにぶつかっていくのが方法上の誠実さというものである。素晴らしい男だった。

最も大切なものはコンセプトなんだ、本当に

◎ジョイ・ディヴィジョン(以下JD)の一連の作品には、貴方のデザインワークスの要素がすでに全て詰まっているように思われます。『UNKNOWN PLEASURES』では、爆発音をヴィジュアルにメディア変換したものを、この伝説的なバンドのデビュー作に飾らせました。

「そう、サウンドの等価物となるヴィジュアルを探してみたんだ。色んな意味で、サウンドのヴィジュアル・メタファーと言えるだろうね」

◎同じくJDの『CLOSER』では、タイポグラフィが完成されたものになりました。そして、イアン・カーティスの自殺という悲劇を含めて、貴方の作品を一種特徴づけるように思われる「死/儚さ」のイメージが非常にシンボリックなものとなった作品のように思います。

「うん、それらはある意味偶然によって起こったものだ。というのは、あのデザインはイアンの死よりも先に出来上がっていたわけだからね。当時彼らはまだ音楽制作をしていて、ヴィジュアルに対するアイデアは全くなかった。僕は制作中のその音を聞いていない。彼らは彼らの、僕は僕のスタジオにいたわけだ。僕はジャケット候補としてJDとは関係のないあの写真を見せて、彼らがあの写真を選んだ。イアンはあの写真を欲しがった。
 今は、歌詞を読んでも歌を聴いてもイアンがあの時に物事をどう感じていたかがわかる。しかしあの時は、誰もその後のことを予想することは出来なかった。彼が自殺という方法を考えていることもね。それらが繋がりをもつことになるとは思わなかった。彼らはいろいろな欠片を一つ一つ持ち寄り、そして僕があのジャケットを作ったんだ。全てが偶然だったと言うつもりはない。クリエイティヴ・セッションに於いて、このような一種の繋がりが自然に起きることは頻繁ではない。そういう瞬間が僕は好きだ。だが僕らの場合、それはあのような形で起きたんだ」

◎……。

「時間の多様性をどう考えるか、というか、ポストモダン的な時間の感じ方と言えばいいのかな。彼らは歌を書き詞を書き、同時に僕はデザインをする。様々なことが同時にやってきてあのジャケットになったんだ」

◎今では、あのジャケットがあの曲たちにあまりにもふさわしく感じられますね。

「そうだね。しかしながら、僕のデザインは、その音楽に捉われることがない。多くのデザイナーはその音楽の内容に捉われ過ぎる。それは音楽の一部、ミクロワールドに過ぎない。僕はポピュラーカルチャーの全体に興味がある。音楽と同時に、写真、ファッション、建築、家具……その時代のイメージにね」

◎それがニュー・オーダー(以下NO)『Power, Corruption&Lies(権力の美学)』のフロッピー・ディスクのイメージに繋がるわけですね。

「そう。その時代のイメージというものにね。我々がどう感じ考えているか、何が好きなのか、我々に何が起きているか、何が影響を与えているのかに興味がある。それを僕はデザインにする」

◎その関係で言えば、デザイナーでもあるブライアン・フェリーのロキシー・ミュージックとの仕事はどうなのでしょう?

「あそこでは僕はアート・ディレクターだった。つまりクライアントの頭の中に入る必要があった仕事だ。パルプも、スウェードもそうだ。そういう仕事であっても、人はそれを僕の作品であると認めてくれる。僕のサインが入っているかのようにね。しかしそれは中身についてのことではなく、僕が関わったということについてのことに過ぎない。ロキシーの作品群がJDやNOと同じようになるということはない。確かにロキシーの仕事も僕の作品だけど、その場合の僕はカルチュアル・エンジニアとしてのピーター・サヴィルであり、彼らにとってのピーター・サヴィルなんだ。そういう作品の中には、好きなものも好きではないものもある。時折、それらは余りにも本当の僕じゃない。そういうものは、どんなに好かれても人に見せたいとは思えない。グラフィック・デザインは誇り高いアートであると同時にサービス産業だ。仕事によっては、パーソナリティのパーセンテージの程度を保つ必要がある。サービスだからね」

◎となると、ファクトリーやJD、NOとの仕事の場合はどのように違うのでしょう?

「JDやNOとの作業においては、誰も僕のクライアントではない。作業はともに始まり、やりたいことをともにやったんだ。彼らのアルバム・ジャケットは彼らのジャケットであり、僕のジャケットでもある。誰にもチェックを受ける必要はない。バンドのメンバーすらジャケットを事前に見ることなく、それらは僕の判断で印刷されて商品として店頭に並ぶんだ。タイトル、内容についての事前の打ち合わせや契約もない。ただ、ジャケットを作るということだけだ。当然、それらは僕のその時のムードの翻訳、つまり、その時に僕がどのようなことを考えているかということになる。いわば、ファッション・ショーみたいなものかな」

◎ヨウジヤマモトのカタログでは、ニック・ナイト、ヨウジとのコラボレーションを行っていますが、こちらはどのような関係性になるのでしょう?

「通常、作品を発表する機会というものは義務と一緒に訪れる。つまり、売上だ。だがニックもヨウジも、NOも、売上のことは気にしない。その分、一つ次元の高い作品になっていると思うね。実はこの10年間は、自分の作品のためのプラットフォームがなく、アイデアをノートに書いているだけだった。今はよりパーソナルなところに興味がある。レコード・ジャケットはその場所として適当なものではない。実はここしばらく一番大変だったのは、自分が関わることの出来るなにかを探すことだったんだ」

◎うーむ、そうなんですか。確かに最近は全く新しいコンセプトの作品づくりをしてますね。Photoshopのプラグイン・ソフト「ピーター・サヴィル・フィルター」とか。

「一つのメソッドを作品にしてみたんだ。時間のメタファーとしてね。作品が消費されるサイクルは早い。一度見れば終わりだったり、ゴミ箱に行ってバイバイだ(笑)。作品をつくり出すためのフィルターならそういうことはないからね」

◎Waste(=不毛の、廃棄物の、染める) Paintingsシリーズでも、特に#1は染め方/フィルタリングというコンセプトも含めてモーリス・ルイス作品のリサイクルかと思うんですけれど。

「そう、あれは非常にルイス的だ。自分のアイデアの原点を壁に飾れる形にしたかった。ゴミ箱から拾い上げたものを美しいものにする。リサイクルは美しいことだ」

◎最近作の『UNKNOWN PLEASURES 2003』は最初期の『UNKNOWN PLEASURES』のリサイクルですね。

「あのイメージは今でもいろいろなところで見るからね。自分の歴史を新しい探究の対象としてみたんだ。新しい可能性だと思うよ」

◎あなたの新しい出発の象徴のように思えます。

「僕もそう思って、先週あれを3Dのオブジェで作ったんだ。とても美しい。しかし、あれを持っていける場所はギャラリーしかないだろう。今、ビジネスにその場はない」

◎私は貴方が最後のモダン・アーティストの一人だと思いますよ。産業そのものも射程に入れたコンセプトを持ったアーティストとして。

「(テレる)ありがとう。多くの人間はイメージの表面だけを見るけどね。僕にとって最も大切なものはコンセプトなんだ、本当に」

(初出:THE DIG No.36)