ikue mori interviewNYに行ってみたらいきなりDNAだったの
イクエ・モリ・インタヴュー(2002)

インタヴュー:熊谷朋哉
初出:The DIG no.28(2002 Spring)

◎イクエさんはドラムからラップトップへと楽器が変わっていますが、音楽に対するアプローチは変わられましたか?

はじめはドラムとドラムマシーンを組み合わせていたんだけれど、ドラムマシーンだけになって、最近は完全にラップトップオンリーになりました。音が私のアイディンティティだから、昔使っていたドラムマシーンの音をサンプリングして使っていたりするんですけれど、世界はすごく広がりましたね。MAX(註:作曲/音楽演奏ソフト)はインプロヴィゼーションもできるし、ラップトップはもう肉体の一部ですね。今では昔パンクバンドでドラム叩いていたと言うと、驚かれることも多いんですよ。あの頃のドラムセットは今も取っておいてあるんですけれどもね。

でも、ラップトップだとドラムを叩くのと違ってステージに動きがないでしょう? だから今度はヴィジュアルを作ってそれを映しながら音と一緒にやってみようと思っています。ヴィジュアルにはやっぱり昔から興味がありましたしね。ジョンに勧められて、TZADIK作品のジャケットも手がけているんですよ。

◎DNAの活動は、あの音楽そのものが目的とされていたんでしょうか、それとも音楽以上のメッセージや意図の部分が大きかったのでしょうか。というのは、パンク以降のノー・ウェーヴには既存の音楽の解体が目的となった部分も大きかったように思うからなのですが。

うん、それが始まりだったんですよね。でも別にノイズを作ろうとしたわけじゃなくて、私が音楽に出会ったところがパンク/ノイズだったと。一番大切にしたかったのは、私自身のパーソナルな音楽を作りたいということでした。

◎それは今も変わらないと。

まさかコンピュータを使うようになるとは夢にも思わなかったですけれどもね。昔はむしろトライヴァルなものに対する思い入れもあったし。あの頃はリディアも20歳過ぎたら生きたくないとか言っていたし、ましてやジャズのミュージシャンと一緒にやることになるとは思ってもみなかったな。すごく人の出会いに恵まれて、みんながどんどんドアを開けていってくれて。アートともそうだったけれど、ジョンはインプロヴィゼーションの世界を教えてくれて、そして今はエレクトロニクスの世界を知って、すごく、本当に、人との出逢いがとてもラッキーだったと思っています。

◎それにしても今写真を見直すと、DNAの頃はおっかなかったですよねえ。

あの時代はねえ、みんなおっかなくしていないといけなかったの(笑)。

◎今後の活動のご予定は。

今は女性3人でメフィスタというインプロヴィゼーションのグループをやっています。スージー・イバラというフィリピン人の若い女性ドラマーと、シルヴィ・コバシエというスイスのピアニスト、そして私のラップトップ。TZADIKからCDも出ています。ビョークとやっているジーナ・パーキンスともデュオをやってます。それと、山崎ハコさん、アキ恩田さんとで新しいプロジェクトをやろうかと。今年はまた新しいCDを何枚かリリースすると思います。