tom verlaine interviewトム・ヴァーレイン・インタヴュー(2006)

インタヴュー:熊谷朋哉
通訳:バルーチャ・ハシム(HEADZ)
撮影:Stefano Giovannini - stefpix.com

 トム・ヴァーレインの14年ぶりのソロ新作が2枚同時に発表された。ヴォーカル作とインスト作、ともに内容は何も言うことはない。前者では明るさと感傷が両立した光景が輝かしくも鮮やかに切り取られ、後者はNYパンクの伝説とは違ったレベルの伝統と拡がりとを見事に感じさせる。また、時代が彼に寄り添ってきたかのようなスリル・ジョッキーからのリリースには、突然彼にとって最良の舞台が用意されたかのように思えなくもない。

 それにしても、14年という空白の時間の長さである。筆者も含めて、待ちに待ったファンたちの思い入れの重さは想像するに余りある。ようやく得られた貴重なインタヴューの機会、一問たりともおろそかにしたくはなかった。この不在の間には多くの証言や資料も出揃っており、それらについて本人に確認したいと思うことも多かった。しかし相手は名うてのインタヴュアー泣かせ、結局のところは真正面から斬り掛かるしかない。

 日本に於ける彼の音楽の受け入れ態勢は総じてレベルの高いものだった。いくつかの優れたインタヴュー、評論、歌詞の対訳が存在する(今回の新作のライナーと対訳も国内盤リリースの意味があるものである)。城戸朱理は93年に書いている。「テレヴィジョンとは、ロックそのものへの不信と信頼の二律背反を、冷ややかな熱気で演じきったロック・バンドだった」(註1)。

 今回のインタヴューの結果は読者の判断に委ねられるが、少なくともこの人物が実に多面的でスケールの大きいアーティストであるということ、そして実に誠実に自身の表現に取り組んでいることを改めて確認することができたと思う。それは人を煙に巻くようなユーモアや「伝説」に対する警戒心の強さをも包含するだろう。

 活動開始から30年以上、今の彼が全開に近い状態にあることを心から嬉しく思う。遂に陽は昇った。かくも長き不在に耐えた友たちよ、共に熱狂しよう!

14年のあいだに

◎今回は14年ぶりの新作です。この間、トムさんのなかで変わったことはなんでしょう?

「昔は、水中で4時間半息を止めることができたけど、今は2時間しか息を止められない(笑)」

◎肺活量が変わっただけ?

「そう(笑)」

◎2時間止められれば十分な気がしますけれど、音楽的にはいかがです?

「アイデアをより洗練させるようになったし、演奏を出来る限りシンプルにするようになったね。あまりシンプルにしすぎるとダメになることもあるけれど、曲に空間を与えることでもっとシンプルにできることがある」

◎この14年間、なにをしてたんです?

「水中で息を止めることで忙しかったね(笑)」

◎(笑)お約束、ありがとうございます。さて、そろそろ真面目に話します。新作がスリル・ジョッキーからということで、私はとても驚かされたんですが。

「レーベルのことはよく知らなかったんだけど、オーナーのベティーナは15年前から知っていたんだ。彼女は80年代後半にNYでアトランティック社員として働いていて、その頃に知り合った。90年代後半に誰かとレーベルについて会話してるときに、その彼女がスリル・ジョッキーを経営していることを聞いた。人間的に彼女を好きだったから、彼女のレーベルからリリースすることにしたんだ。他にどんな作品がそこからリリースされてるかは関係なかったね」

◎他のスリル・ジョッキーのアーティストの音を聴いたことはありましたか?

「場所は覚えてないけど、トータスのライヴを90年代後半に見たことがあったね。彼らの音楽は好きだよ」

◎2枚の作品を同時に出したのは?

「たまたま2枚とも完成していたからだね。また半年待って1枚出すより、2枚同時に出した方がやりやすかったんだ。僕は2枚のリリースがぶつかるとは思っていなかったけれど、レーベルは少し心配していたかもしれない。ベティーナに“2枚とも完成してるから、一緒に出した方がみんなにとっても楽だと思う”と言ったんだ。別々に出す場合、スタッフは同じ仕事を二度やらないといけないだろう? それで彼女も同時リリースを了承した。『SONGS〜』の方が少し多く宣伝されてるけど、その方が現実的な判断だろうと思っている。過去40年間、ジャズや実験音楽の外の世界でインスト作品を買う人はどうしても少ないんだ。昔はパーシー・ヒースのレコードがトップ10に入ることもあったけど、今はそういうことはあり得ない。ラジオ局にインスト作品を持っていっても、かけてくれるわけではない。アメリカにはライト・ジャズというフォーマットがあるんだけど、そこにいるのはケニーGあたりだ(笑)。でもそこに入れられてしまうことは、世界中のインスト・ミュージシャンにとっては屈辱というものなんだ(笑)」

◎単純な質問ですが、2枚のアルバムのカヴァーについての解説を頂けますか? クレジットもなかったので。

「『AROUND』のほうは、僕がフリーマーケットで見つけた写真なんだ。誰にもその写真がどこで撮影されたかが分からない。何年に撮られたかというクレジットもない。あるイタリア人はミラノで撮られた写真じゃないかと言う。ミラノには曲がった線路があったと言うんだけど、そこはもう存在しないらしい。あるドイツ人はルーマニアじゃないかと言う。僕は多分東欧で撮られた写真じゃないかと思っている。60年代初期っぽく感じられるけれどもね、根拠も特にないけれど。『SONGS〜』のほうは、もともと60年代のカタログに入っていた15世紀ポーランドのカトリック木版作品。その一部をコンピューターに取り込んで色をつけた。こういったものをアートワークに使用したのは、どこか優雅で陽気な雰囲気があったからだよ。クラシカルな雰囲気もあるしね。最近のアートワークはサイバーっぽいものが多いから」

◎今回のインストゥルメンタル作品は、2作目のインストゥルメンタル作です。あなたはここしばらく、マン・レイやレジェといった昔のアーティストによる映画に音楽をつけるという試みを続けていましたし、前のインスト作『WARM AND COOL』は架空のサウンド・トラックとも言われていました。

「いや、『WARM AND COOL』は架空のサウンドトラックではないんだ。みんながそう言ってるだけだよ」

◎あ、そうなんですか。ともあれ、映像やイメージと音、そして言葉の関係を教えてください。インストゥルメンタルに於けるタイトルと曲の関係、そして歌ものに於けるタイトルと曲と歌詞の関係に違いはありますか?

「曲名というものは、必要だからつけてるだけだよ。曲を書くときは、アルファベットを曲名にすることが多いんだ。CとかDとかXとか。曲名は出版の関係でつける必要があるだけで。頭の中でイメージを決めて曲を書いてるわけじゃない。時にはそういうことはあっても、とても希なことだね。多くの場合はアルバムの完成後に曲名を決める。曲を聴いて何かを思い出したりすると、それを曲名にしたりね。曲名をどうやって決めるのかを説明するのは難しいことだねえ。時にはユーモアが込められていたり、イメージが固定されたタイトルのパロディだったりもする。エリック・サティもよくそういうことをしていたね。彼の作品にはコミカルなタイトルが多かった。人々が、音楽に対して決められたイメージを持っていることを彼は知っていて、そのイメージというものは虚偽のものであることが多いんだ。そういう意味で、僕はタイトルにそこまでの思い入れがあるわけじゃない。ジャズや室内楽作品でも同じことだと思うけれど、〈作品番号12〉とか〈作品番号2〉とか女性の名前を曲名にしても、それほどの違いはないんだ」

◎ヴォーカル曲では、歌詞と曲名にもっと直接的な関係があると思うんですが。

「そうだね。歌詞のある曲の場合は、曲の全体像や意図をまとめてくれるようなタイトルを探す。必ずしも歌詞の中に入ってる言葉じゃないかもしれない」

◎『WARM AND COOL』はジョー・ボイドのライコからリリースされましたが、これについては(註2)。

「それも誤解なんだ。ジョー・ボイドは僕のライコ作品と全く無関係なんだ。彼はライコ・アメリカのスタッフの友人で、ライコ作品をヨーロッパでディストリビュートしていた。でもヨーロッパで僕の作品をリリースしていたのはライコじゃなくてラフ・トレードで、ジョーはアメリカでのライコとは全く関係がないんだよ(笑)。是非このことを記事に入れておいて欲しい。世界中で誤解してる人が多いからね(笑)」

◎今回の『AROUND』は特に、ジョー・ボイドが手がけたフェアポート・コンヴェンションに似たニュアンスが感じられたりもしますが。フェアポート〜は聴いていましたか?

「フェアポートの音楽は全く知らないなあ(笑)」

◎ジョー・ポイドと言えば、ニック・ドレイクのようなアーティストも手がけています。歌詞という表現方法に対する独特の信頼という点で、あなたと共通点を感じたりもするのですが、どう思いますか?

「共通点はないね。僕の名前がニック・ドレイクと関連づけられるようになった理由を教えてあげよう。84年くらいに、アイランドのプロモーションの人間が僕に電話をかけてきて、ニック・ドレイクの音楽について会話してるときに、僕は『この音楽を聴いてると頭をオーブンの中に入れたくなる』と言ったんだ(笑)。彼は僕の言葉を歪曲して新聞でのプロモーション・キャンペーンで利用したんだ。それでみんなは僕がニック・ドレイクの大ファンだと思ったんだ。でも違うんだ、彼の音楽は悪くないと思うけど、82年以来、彼のレコードは聴いてない(笑)。この誤解が解けて良かったよ(笑)」

◎また、先の『THE WIRE』のインタヴューではあなたはESPレーベルのフリー・ジャズについて語っています。あなたの作品にはフリー・ジャズのイマジネーションも感じられますね。単純に楽譜にすれば簡単なフレーズが、非常に独特で記憶に残るものになっている。あなたのインストゥルメンタルには、フリー・ジャズのように音自体に表現主義的にものすごい情熱を込めるスタンスと、逆に例えばトータスのように音をひとつのマテリアルとしてクールに扱うスタンスの両方があるように思います。あなたの音楽とフリー・ジャズについて、ひとつの音と表現という視点から語って頂くことは出来ますでしょうか。

「フリー・ジャズも僕の音楽も、インプロヴィゼイションが重要なんだ。僕の音楽の即興は特定のスケールに基づいて演奏してることが多いけど、フリー・ジャズでは音符という概念を捨てていることも多い。ものによっては、モードやスケールに基づいたフリー・ジャズもあるけどね。そういう意味で共通点はあるかな」

◎あなたのインスト作品は、インプロヴィゼイションからのものが多いんですか。

「そう。でも全ての作曲行為は、インプロから生まれるものなんだ。頭の中で聞こえた音を楽譜として書くことも、瞬時に演奏することも、それは同じことだ。ベートーヴェンやモーツァルトのような作曲家は、ピアノでインプロしてから、それを楽譜として書き留めた。インプロヴィゼイションという行為は誤解されてるんだよ。音楽の世界では作曲家とインプロヴァイザーを区別されることが多いけれど、インプロヴァイザーというのは演奏した音符を楽譜に書いてないだけなんだ。インプロヴァイザーのなかには、構築された演奏をする人もいれば、反復を取り入れる人もいる」

◎つまりあなたにとって、インプロヴィゼイションは素早いプロセスで行われる作曲である、と。

「そう、楽譜に書いてないだけでね。インプロから生まれた僕のインスト曲では、10分以上も演奏することがあって、その中からベストの3分間を使ったりする。時には最初の3分間が一番良かったり、演奏し始めて1分間経過してからいい演奏になることもある。エディットをして曲を作り上げるんだ」

◎アラン・リクトが『THE WIRE』であなたとのインタヴューを発表し、また彼はテレヴィジョンのリマスター盤のライナーも書いていますね。彼は例えばレニー・ケイのようにライターであると同時にギタリストです。以前、あなたも詩集を出したことがあり、最近は映画のスクリプトも書いていたとのことですね。単なるロック・アディクトではないミュージシャンとして、書きものと音楽との関係に変化はありますか? ちなみに、ジョー・ボイドやルー・リードも最近本を出しましたが。

「文章を書くことと音楽は全く別世界のものだね。文章を書くと、それが歌詞になることもあるし、公表せずにモノローグとして書き残しておいたり、または短編作品やポエトリーとして発表することもある。ポエトリー作品を出版する場合はたいてい別のペンネームで発表してるんだ。2年以内には僕が書いてきた文章をまとめて本を出版しようと思っているよ」

◎へえ。なんというペンネームなんです?

「みんなに知らせたかったら教えてるよ(笑)。教えられないんだ(笑)」