hideki nakajima中島英樹展覧会に寄せて

テキスト:熊谷朋哉(SLOGAN)

中島英樹が日本では初めての展覧会『CLEAR in the FOG』を開催中である。ニューヨークADC賞、東京ADC賞、ニューヨークTDC審査員賞、東京TDC賞グランプリ……輝かしい受賞歴が示すとおり、日本ではもちろん、海外でも圧倒的な評価と支持とを受けるグラフィック・デザイナーによる個人展となる。

エディトリアル・デザインで知られる中島であるが、今回の展示は二部に分かれて構成されている。第一部はこの展覧会のために新たに製作された1点もののグラフィック作品群。第二部は雑誌やCDジャケット等、今まで中島が制作してきたアートワークの現物が一堂に会することになった。

2001年の中島の作品集に記されていた「言いたいことは何もない。ただ見たいものがあるだけだ」というマニフェストが気になっていた。確かに中島のデザインはデザイン対象を目に見える形に単純に「翻訳」したものではない。しかし、デザインそのものと内容との距離こそが彼の「言いたいこと」であるように思われてならなかったからだ。あれから5年が経ち、かくして今回の新作群には、中島本人によることばが謎かけのようにそこここに置かれている。

「美しく矛盾しようと思う」「初登頂したと思った山に、いつも痕跡を見てしまう」「新しいモノより、違ったモノを見てみたい」……無防備に投げ出された、意思表明とも独り言ともいえることばたち。それは単なる要素としてのタイポグラフィでも作品の解説でもなく、グラフィックそのものはそれらと微妙な距離感を保っている。あらゆる印刷技法が試され、ことばと物質性との拮抗とが前面に押し出されたこの作品群。

ここにあるのは、そして中島が執拗に取り組んでいるものは、視覚に於けるひとつの新しい次元の獲得であると言っていい。それはもちろん内容と無関係なただの飾りではなく、かといって内容をそのままわかりやすく解説したものでもない。いわば、作り手と受け手、個人と集団の記憶、時代──つまり「全て」と物質性とが危ういバランスで均衡しながら新たな意味を生み出すひとつの解釈システムである。これを明確にあらわすことばは未だにひとつしかない。「デザイン」……。

とはいえこの使い古されたことばでもある「デザイン」はもちろん産業の一部であり、第二部の作品群が明らかにするとおり、中島は超一流の商業デザイナーであり続けている。しかしジャンルを問わない膨大な仕事のなかから浮かび上がる、静謐でありつつも触れれば切れるかのような肌触りは、凡百の商業デザインとは明確に一線を画すと言えるだろう。

今回の展覧会は数多くの問題提起に満ちている。幕末以来の日本近代化の歴史と怨念の全てが込められた書体である秀英体の使用、消えつつあるプリンティング技術とそれらが生み出すニュアンスの違い。重層的に塗り込められた知識と情報、そして尖鋭な問題意識。しかし中島は答えを明かすことはない。実際の話を聞くと、中島はデザインの現状に対する不満を語って倦むことがなかった。ぶっきらぼうな口調とは裏腹の、女性的もしくは日本的と言いたい繊細さ、そしてデザインというアートフォームに対する、信頼と不信をともに抱え込んだうえでのひとつの確信。

これは肩に“デザイン”と彫りこんだ日本最高のデザイナーによる、“世界”との壮絶な闘いの記録である。そしてこの場合の世界とは、単純な地理としての「日本の外」であると同時に、また中島個人以外の「全て」、もしかすると中島本人も含まれる「全て」を指すことだけは改めて特記されなければならない。