masayoshi sukita interview写真は一枚でいい
鋤田正義インタヴュー(2006)

インタヴュー:熊谷朋哉(SLOGAN)
初出:MACPOWER:2006年8月号
写真:下家康弘

広告、表現、報道──時代と写真の様々な局面で

僕は1938年、九州の生まれです。戦後、一気に入ってきたアメリカ文化に触れて育ったと言えるのかな。日本経済の上り坂と重なりつつ広告の仕事をしていましたが、広告はやっぱり消耗品という部分があるんですね。反動ではないけれど、その一方で『カメラ毎日』のようなカメラ雑誌でクリエイティヴの部分を一生懸命やっていました。締切に追われるし、なかなか大変だったんですが。

若い頃は『LIFE』『LOOK』といった世界的なグラフ誌が全盛で、もちろんその影響を受けています。報道の血もあったんでしょうね、長崎に原爆被害者を撮りに行ってるし、佐世保の原潜入港のときも撮りに行っています。その時の写真が報道で使われて、これはなにか大きな力があるなと思った。ただ、もともと正義感だけで撮っていたんですが、そこでなにか限界を感じたところもあるんです。

僕が見てきた報道写真は、マグナムとか、どこかに所属しているカメラマンの写真が多かった。しかし報道写真は個人では難しい部分がありました。例えば、どこかに所属しているとサポートがあったりもするんだけど、当時は僕もまだ完全に駆け出しの一個人だった。そして報道は、広告、ものを売る写真とは全く正反対なわけですよね。原爆も原潜も、広告も、時代といえば時代のものなんですが、絶えず、自分のなかでの葛藤がありましたよね。

音楽を通して時代を「撮る」。

一方、その頃すでに僕は音楽漬けになっていて、例えばビートルズのマシュルーム・カットが新しい時代を象徴しているような感じがありましたよね。その時代の匂いというか、カウンターカルチャーと言われた周囲の空気に引きずられていったんです。それでニューヨークやロンドンに行き、ウッドストックには行けなかったんですが、次の年にはジミ・ヘンドリックスを撮ることは出来たんです。

もともと天井桟敷の寺山修司さんあたりとも仕事をしていたので、なんとなくクリエイティヴな空気の中にはいたんです。でもまだまだ日本では情報は少なくてね。たとえばアンディ・ウォーホルの話はしていたけれど、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはまだ知らなかった。だから、ニューヨークに行ってはウォーホルを遠くから見て、やっぱりみんなファミリーなんだなと思いつつその周りを見ていると、ルー・リードとかがいて。それでヴェルヴェッツのアルバムを買った(笑)。日本には雰囲気は伝わってきていたんだけど、そこまでの情報はなかったんです。

そうなると、僕はジャーナリストではないけれど、現地で起きていることを自分の写真で確かめたいというところがあって。日本は情報が遅れているわけだから、現場を見てしまった立場としては、その情報の発信をする必要があるんじゃないかと。まあ一方で僕自身は、自分がクリエイトするために面白いものをこの眼で見たいというだけだったんですけれどもね。

メンズ・ファッションとT.REX

広告ではメンズ・ファッションの仕事が多かったんですが、特にJAZZというブランドの仕事では普通の広告とは違って、雰囲気重視の、アートに近いものを作っていたんです。その分、時代の空気や音といった、写真以外の要素も感じ得るようなヴィジュアルだったということは言えるかも知れません。72年、T.REXを撮ろうとロンドンに行って、まずは直接彼らに僕の作品を見せるわけですが、その時に見せたのもそのあたりの作品です。僕の写真のいったいどの部分を気に入ってくれたのかを、僕も彼らに訊いてみたいところですね。

今振り返れば、下地はそれなりにあったんですよね。自分の側にもすでに技術と自信があったから、マーク・ボランをモデルにしてもビビらないで扱えたしね。タイミングも良かった。その後仲良くなったデヴィッド・ボウイもひとまわりくらい下だし。

T.REXの、色々な色が出ている写真はベトナム戦争で使われた技法なんです。擬装した戦車を発見するための赤外線に感応する撮影法で。その関係性が面白くて、カメラ雑誌で研究しながらもその方法を当時多用していたんです。自分の意識としてはサイケデリックというか、とにかくノーマルじゃない色で。もともと、マークをこの手法で撮りたいと思っていた。

デヴィッド・ボウイとの長きの始まり

ロンドンに行った時はまだボウイのことは知らなかったんです。あちらに行ってみたらボウイというのがいて、T.REXとトータルでグラム・ロックらしいと聞いて。それでボウイを撮ってみるとその吸引力にやられてしまって、その後も彼をライフワークとして撮り続けるようになりました。

ひとつの対象を追い掛けるという意味では、マグナム/デニス・ストックのジェームス・ディーン写真集の影響があるのかもしれない。ボウイを最初に撮った頃は、ギリギリでグラム・ロック直前なんですよ。自分の中では、出会いの新鮮さもありました。

こういう撮影はだいたい一灯でやるんです。CMだともっとたくさん使いますけれど。シンプルなものとゴージャスな環境というのは、一長一短ですが、本当は一灯が一番いい。太陽がひとつであるのと同じようにね。