james chance interview俺はエルヴィス・ブラウンだ /
ジェームス・チャンス・インタヴュー(2005)

インタヴュー:熊谷朋哉
通訳:酒井翠
初出:THE DIG Vol.42, 2005
協力:wind bell / Hillstone、Tsuyoshi Kawasoe

ジェームス・チャンス&ザ・コントーションズの来日公演がついに実現した。

1978年の『NO NEWYORK』リリース以降、ジェームスが2005年にジョディをパットをドンを引き連れ東京で満員のフロアを湧かすことをいったい誰が想像出来ただろう。崩れ落ちそうに足元をふらつかせ歌い踊るジェームスの姿に、目も眩むような感動を覚えたことを告白する。筆者は74年生まれ、むろんデビュー当時の彼等を知るはずはない。

『NO〜』の衝撃を、今の視点から冷静に分析することはそれほど難しくない。伝説の欠片を探して想像を逞しくすることも可能だろうし、逆にただの「音楽」としてクールにその音を扱うことも出来るだろう。また下記のインタヴューをご一読頂ければ、彼が戦後アメリカ音楽史に於ける正当な嫡子であることもご理解頂けると思う。

だが、その伝説的な、音楽的な、歴史的な解釈のどこにも回収し得ないなにか、ひしゃげたなにかがいつまでもどうしても喉元を過ぎることがない。それはたとえば不器用なツッパリが透ける節回しかもしれないし、リーゼントから垂れ下がる長い前髪かもしれない。

しかしそれらこそが、ただの「音楽家」がいくら頑張っても到達することも、その必要もないものであり、魅力や個性という凡庸な言葉を使うまでもない伝説の源泉であり、私たちが今も彼を見続ける理由であることだろう。

意外にも艶やかな低音、優しさを見せたサックス・ソロ、妻とのダンス……、伝説と現実との区別が消え、近くて遠くに思えるステージの上で時間は美しく過ぎゆき、未だ帰ってきていない。

『NO NEWYORK』からすでに27年。まさしく伝説と言うに相応しい存在が自ら語るNY今昔物語をお届けする。あのアルバムの裏ジャケットで殴られた痕を晒していたあの人物は、ケレンと優しさとの同居する、実に繊細な男だった。

the first step to 『NO NEWYORK』

◎『NO NEWYORK』から27年、ようやくの初来日ですね。実は日本のリスナーは貴方たちの音楽を高くずっと評価してきていまして、例えば『NO NEWYORK』も、再発される前には2万円以上の値段で取り引きされていたんです。高校生だった私のお小遣いではなかなか買えなかったんですよ。

「(笑)実は俺も持ってないんだ。何故かあのアルバムだけは誰もリイシューしてくれなかったんだよなあ」

◎ジェームスさんの音楽には矛盾やコントラストが鮮やかに詰め込まれていると思います。パンク・ロックとジャズ、ファンクとロックンロール、エンターテインメントとアヴァンギャルド。そういう矛盾やコントラストは、どれくらい意図されていたものなのでしょう?

「もともとはジャズ・ミュージシャンになるためにNYにやってきたんだ。一年間そのつもりで活動をして、それが不可能であることがわかった。というのは、いくらロフトでジャズをやっていても、なぜか全くジャズ・ミュージシャンのようには見られることがない。態度やルックスの問題だ(笑)」

◎(笑)

「まあ実際、他のジャズメンとは考え方も違っていたことも事実なんだ。自分がロック向きだということに気付いてからは、CBGBやMAX’Sといったロック・クラブに出入りするようになった。どのような演奏をすればそういうクラブにいるオーディエンスが気に入ってくれるのか、そして新しくてユニークで、なおかつ妥協のない音楽をやるにはどうすればいいかを考えた。結局、自分の好きな要素を全部入れるのが一番だと思ったんだ。ジェームス・ブラウンのリズム、アルバート・アイラーのサックス、パンクのアティチュード、そして後にノー・ウェイヴの象徴になるノイズ、それら全てをミックスしたんだね」

レック、チコがザ・コントーションズに参加

◎なるほど。ヒストリーを見ると、まず貴方はティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスに参加してますが……

「そこではただのサイドメンだったけどね。ティーンエイジ〜は完全にリディア・ランチのスタイルとコンセプトのグループで、俺はそれにサックスを付け加えていただけ。リディアはバンドをどんどんミニマムにしようとして、それでサックスもいらないということになって追い出されてしまった」

◎それからザ・コントーションズの結成。日本人の私たちにとっては、レックとチコの参加が印象的です。

「ティーンエイジ〜のベーシストを捜していて、リディアと俺とでCBGBに行ったんだ。そこにレックとイクエ・モリがいて、俺らが声をかけた。話を聞いてみるとレックはギタリストだと言うんだけれど、ベースをやってもらうことにして、それで彼もティーンエイジ〜に入ったんだ。レックもイクエもルックスが良かったんだよ。かっこいい、クールだ!と思ってさ。その後、レックと俺が一緒にティーンエイジ〜を抜けて、その時に彼はチコを紹介してくれた。それで彼等がザ・コントーションズの最初のリズム・セクションになったんだ。まだ当時はジョディ・ハリスも参加してなくて、ギターはジェームス(・ナレス)というアーティストくずれの男だったんだけれど」