ikue mori interviewNYに行ってみたらいきなりDNAだったの
イクエ・モリ・インタヴュー(2002)
インタヴュー:熊谷朋哉
初出:The DIG no.28(2002 Spring)
あのイクエ・モリが来日公演を行った。アート・リンゼイとのDNAで、伝説の『NO NEWYORK』(1978年/ブライアン・イーノプロデュース)でデビューを飾った日本人ドラマー。NYパンクからノー・ウェーヴへとフェーズが変わるなかでの立役者であり、その歴史を中心から目撃した人物のひとりでもある。
彼女は現在もジョン・ゾーンのTZADIKレーベルから精力的にアルバムを発表しており、12月8日の新宿PITINN公演ではラップトップコンピュータを手にジョン・ゾーン(sax.)とビル・ラズウェル(b.)とでインプロヴィゼーションを展開。巻上公一(vo.)と元ブランキー・ジェット・シティの中村達也(dr.)もゲスト出演し、フリー色が強くも間口の広い、充実したステージとなった。
『NO NEWYORK』の醒め尖ったポートレートの印象で勝手に怖れてインタヴューに臨んだ筆者だが、初めてお会いするイクエさんはとてもチャーミングな女性だったことを特筆する。そこにあったのは「伝説」とは無縁に自己の世界を深める、完全に現在進行形の1人の誠実なアーティストの姿だった。
◎'77年にNYに渡られたそうですが、DNA結成の経緯は?
フリクションのレックとNYに渡ったのですが、彼は良くCBGBとかで声を掛けられていて。当時はアジアンのパンクなんていなかったし、目立っていてね。そしてその頃は、誰でも楽器を持って音を出してみようというシーンがあったんですよ。オーディエンス席にいた子が次の週には初めて楽器を手にとってステージに立っていたり。本当に、みんながミュージシャンという感じだった。
それでレックはバンドに入って毎日ジャムセッションするわけね。で、私はそれを見に来ていたアート・リンゼイに、ドラマーを探しているんだと誘われて、それで一緒にやり始めて、そのままNYに残っちゃったと。アートと会った3ヶ月後にはマクシス・カンサス・シティでライヴがあって、6ヶ月後にはそのシーンを見に来ていたブライアン・イーノが声を掛けてきて、すぐに『NO NEWYORK』があって。すごくスピードが早かった。タイミングが良かったんですね。
◎レックさんは一年くらいで日本に戻られているようですね。
そう、それは男女の違いなのかも知れないけれど、彼には東京にそういう音楽を持っていきたいという使命感みたいなものがあってね。それで彼は日本に戻って東京ロッカーズをはじめたんだけれど、私はこんなに楽しいことが始まっちゃったんで、とてもじゃないけど帰れないな、と。
◎イクエさんご自身は、元々、音楽やアートといった表現活動を目指されていたんですか?
私は美術系だったんですけれどもね。日本でもミュージシャンは周りにたくさん居たけれど、音楽が簡単に出来るものだとは全く思えなかった。ステージに立つなんて10年早いよというか、ディシプリンをこなして初めて人前に立つものなんだろうと。でもNYに行ってみたらそれが全部ひっくり返っちゃって。やるほうが見るよりも全然楽しいということがよく分かって。それでなんでもやっちゃったんですね。シンプルなものでしたよ。
◎それでいきなり最前線に立ってしまったわけですよね。
そうですね。小さいシーンだったけれど、やっぱりNYだから見てくれる人は多くて。同じことを東京でやっても大変だったとは思いますね。
◎モリさんが渡航した当時のNYは、パティ・スミスやテレヴィジョン、ラモーンズといった有名なバンドが世界的にも知られてきた頃でしたが、彼らの影響はあったのでしょうか?
彼らが居たからNYということはありましたよね。特にレックはそういう人たちが大好きで。でも私はどこでもよかったの。日本を出るのが先だったの。行ってみたらいきなりDNAだったの(笑)。
とはいえ彼らはもう大きいところでしかやらなくなってきていて、当時よく付き合っていたのはやっぱりリディア・ランチやジェームス・チャンス、マースといった人達でした。リディアは今はひとりでパフォーマンスをしたり本を書いたり、詩を朗読したりしています。ジェームスもコントーションズを再結成しましたね。マースは音楽的にもとてもアーティスティックな人たちで、個人的にも一番近かったかな。そういえば私も今もたまにアートとステージをやったりしているんですよ。ギター2本と私のラップトップで。もう、ほんとにノイズです。
◎未だに交流は深いんですね。
イーストヴィレッジでは、今はトニックというところが中心になっているんだけど、ミュージシャン同士がサポートしながらコミュニティを形成しているんですね。楽しいですよ。皆で新しいプロジェクトを作ったらすぐブッキングして音を出して、そしてレコーディングをしたりね。日本からも良く来ますよ。こないだは灰野敬二さんが来ていました。