t.rex and marc bolanマーク・ボラン──ある星との距離をめぐって(2005)

TEXT:熊谷朋哉
初出:AERA in ROCK 2(2005年7月)

「彼」に手が届かない

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? 
そんなら、君とは話をしない。
(「ピエロ伝道者」坂口安吾)

それは1972年のことだった。

11月、T.REXが初来日を果たす。『電気の武者』『スライダー』を経て、すでに日本でも「新時代のアイドル」となっていた彼らの待望の日本公演だった。東京は日本武道館、名古屋、大阪、そしてもう一度武道館。マークたちが到着した羽田空港はT.REXをひと目見ようというファンたちで文字通りのパニックとなった。また渋谷の西武デパートでは鋤田正義とYACCO(高橋靖子)両氏による「T.REX写真展」が開催され、マーク自身が来場した日にはあまりの混雑と混乱とにデパートのウィンドウが割れることになる。ビートルズ以来の盛り上がりと混乱とを引き起こしたマーク・ボランは、ファッション、ヴィジュアルが音楽と同等のものとなった、まさしく新しい時代のロック・スターだった。

歴史を振り返ってみれば、まるで全ての舞台が整えられていたかのようだ。'69年、アポロ11号が月に行き、東大安田講堂での攻防が繰り広げられた。'70年には安保闘争、よど号事件、そして大阪万博。同じ年にジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンが死ぬ。'71年にはNHKの全放送がカラー化され、'72年は連合赤軍あさま山荘事件がテレビの前に人々を釘付けにするだろう。

宇宙時代の始まり、学生運動の終焉、そしてヴィジュアルの時代。意識は地球を超え、闘争は一種の終わりを迎え、しかし陰影を覆い隠すかのようにメディアは文字通りに色づいた。T.REXとマーク・ボランを振り返るとき、当然のことながら、時代状況との関わりを無視することは出来ない。

しかし、その時代とはいったいなんだろう? 30年以上を経てサイクルは一回りし、曲がりなりにもある種の冷静さとともに過去を振り返ることが出来ておかしくないはずの私たち。それなのに、私たちはマーク・ボランの姿を未だ冷静に見直すことが出来ない。この人物がなぜ今も私たちを魅了するのか? 未だに生々しさとスリルとを全く失っていない、彼の音楽と数々のイメージ。彼の中にある奇妙に引き裂かれたなにかが、私たちをノスタルジーに浸ることを許さない──。

例えばデヴィッド・ボウイにその種の奇妙な疑問は残らない。類い希な美貌と明敏な感覚、戦略家としての勘の鋭さとシンガー/パフォーマーとしての圧倒的な実力。どのような誹謗中傷や悪評、そして時に瑕疵があっても、なにがしか万人にプラスの感情を与えることについて彼を疑う者はないだろう。

マークは違う。グラム・ロッカー達の化粧を「死化粧」と呼んだのは横尾忠則だったが、確かに私たちは、白塗りのボランの姿、そしてあのいつまでも耳に残る声に惹かれながらも、生々しく倒錯した違和感を覚えずにはいない。彼はまるで恐竜のミイラのようだ。

この「スター」の、ある種の倒錯と欠落ゆえのスリルと魅力、そして簡単な分析を拒む余りといえば余りの不思議さ。このアンバランスで奇妙な魅惑を、ひとまずは(グラム?)ロック的な魅力と呼んでおこう。

このロック的な魅力ゆえに、マーク・ボランは輝き続け、私たちはいつまでもT.REXに惹かれ続ける。時代を超えた存在? 確かに。しかしより正確には、マーク・ボランは初めから時代の外にいたと言うべきである。いわば彼は、生きながらすでに死んでいたのだ。

'05年、リンゴ・スター監督による映画『ボーン・トゥ・ブギー』の再発と再上映を機に、T.REXの記憶が突如漂いだしている。まるで生きているかのように現れたマークの姿を前に、私たちは立ち位置を見失う。距離を見失う。空にある星の輝きがいつのものかがすぐにはわからないように。

彼はどこにいるのか? そこにいるマーク・ボランが、どうしてもこの手につかめない。この距離はなんの距離か?

それは30年という時間の距離か、ロンドンと日本の距離か、スターと私たちとの距離か、それとも繰り返し再生産されてきたイメージと生身のマーク個人との距離か? それとも彼岸と此岸の距離か?

今、そこにいるのは誰か? マーク・ボランとは一体誰だったのか?