antony & the johnsons interviewアントニー&ザ・ジョンソンズ・インタヴュー(2010)

インタヴュー:熊谷朋哉(SLOGAN)
通訳:河原雅子

アントニー&ジ・オーノズ公演

ついにあの人がやってきた──アントニー・ハガティがソロとして初めての来日公演を行った。しかも今回はアントニー&ザ・ジョンソンズではなく、アントニー&ジ・“オーノ”ズ──舞踏家・大野一雄と大野慶人とのコラボレーションである。今年百四歳を迎える舞踏家・大野一雄のポートレートをアルバムのジャケットに掲げ、大野からのインスピレーションを幾度となく語るアントニー。今回の来日公演は、彼にとっても我々日本のオーディエンスにとっても特別なものだったと言うほかはない。まさしく奇蹟のような出来事だった。

コンサートはジョアンナ・コンスタンティンによるパフォーマンスと短波ラジオ/オープンリール奏者ウィリアム・バジンスキの音響による儀式で幕を開けた。生と死の間で変容する生身の肉体を、映像による月明かりが照らす。ジョアンナは古くからアントニーと活動をともにする盟友であり、アントニー作品のヴィジュアル面でも大きな役割を果たしている。

儀式の後には大野一雄の発言と映像、写真を用いたダイジェストフィルムが映し出される。空き地に打ち捨てられた風呂桶から生まれ出てくる大野、唐傘を掲げる大野、廃墟の中に蠢く大野、接写された大野の身体、車椅子で自らの過去の写真を眺める大野──。

スクリーンが上がる。ピアノが置かれ、アントニーがその前に、そしてアコースティック・ギターとヴァイオリンとともにロブ・ムースが座っている。「Her Eyes Are Underneath The Ground」のイントロが始まる。アントニーの口が開く。恐ろしく情報量の多い、最上の絹の織物のように柔らかさと張りとを併せ持つ音響がその場に降り注ぎ始める。ついに始まってしまった。ついに聞こえてきてしまった。ロブがヴァイオリンを添える。大野慶人が白塗りの姿に一輪の薔薇を持って静かに現れる。

草月会館ホールはPAの必要もないほどの大きさである。アントニーの生の肉声が、さらに大野の肉体が、空間を満たし、また静かに揺らしていく。舞台上の集中と客席の舞台への集中は恐ろしいほどの緊張感を生み、自らの微かな衣擦れすら耳障りなものと感じられる。咳のひとつも許されないことはもちろんのこと、曲間の拍手すらできるものではない。たったひとつだけ客席から漏れ聞こえてくるのはすすり泣きである。二一世紀も二度目のディケイドを迎えつつある現在、人間が生身で作り出すものがここまで聴く者を涙させることができるものなのか?

ステージ上のアントニーは、緊張を感じさせつつも所々の仕草に大野への敬意と優しさとを滲ませる。大野一雄の弟子である舞踏家・上杉満代は、その彼の優しさを“女性の母性にはない母性”と呼んだ。しかし時間と楽曲は、どうしても、一曲一曲と優しくも無情に過ぎていくほかはない。大野への崇拝を歌い込む「The Crying Light」、上杉も参加した大野一雄の映像作品『O氏の死者の書』の上映を挟み、ついに本編はエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」の絶唱で締め括られることとなった。大野一雄が好んで舞ったその一曲。凄絶な空間の緊張は、その最後の一音の後で初めて、大野慶人がアントニーに持ち寄った薔薇の花束と大野一雄人形によって和らぐことになった。美しいという安易な言葉すら憚られるその歌声の余韻が、アントニーが人形へと散り降らす薔薇の花びらとともに万雷の拍手の中へ消えていく。私たちは何を目撃したのか? メンバー達が子供のようににこやかに手を繋いでステージを去っても、客席には不思議な気配が残り続ける。私たちが見ていたもの、聴いたものはなにか? 何か凄まじいものを目撃したという記憶だけが過ぎ去らない。何も見えない、何も聞こえない。しかし不思議な気配だけがいつまでも実在する──。

アントニーの歩み

二〇〇四年のルー・リードのバック・シンガーとしての来日時以来、アントニーの歌声は筆者の偏愛の対象だった。「暗い感覚」「ダーティ・ブルヴァード」の優しくもソウルフルなコーラス、そして「キャンディ・セッズ」でリードを取ったその声は、それから五年以上もの間、全く一日たりとも耳を離れたことがない。

そのルーのバックステージで初めて会った彼は、NYアンダーグラウンドの尖った香りを漂わせつつも限りなく優しそうな人物で、その活動ぶりとイースト・ヴィレッジのアートサークルとしての楽しさを嬉しそうに話してくれたものだ。ジョアンナとのグループであるThe Black Lips、そして自らの名を冠したアントニー&ザ・ジョンソンズ。深夜のナイトクラブでの、簡素で荒々しくも限りなく美しそうなステージの様子。当時はまだyoutubeはなかったが、今は当時若しくはそれ以前のアントニーのパフォーマンスをいくつか目にすることができる。少しの毒を感じさせつつも、赤裸としか言いようのない悲劇的な喜びを持った音楽。 ジョンソンズは〇〇年にファースト・アルバム『Antony And The Johnsons』をリリースしているが、その後ハル・ウィルナーの紹介によって、ルー・リードの『ザ・レイヴン』プロジェクトとそのツアーとに参加することとなったという。

驚くべきはその後の急展開ぶりだった。死の床にあるキャンディ・ダーリングの写真をカヴァーにした〇五年の『I am a birdNow』が文字通りに彼を大きく羽ばたかせることになる。ルー・リードやボーイ・ジョージ、ルーファス・ウェインライト、デヴェンドラ・バンハートまでもが顔を揃えつつ、それらの強い個性が薬味にしか感じられないほどの楽曲とその声によって、アルバムは傑作、そして衝撃的としか言いようがないものとなった。英国マーキュリー賞の受賞、追って行われた世界ツアーとの反響とともに、アントニーはその年の音楽界を象徴する一人となった。

アントニー、伝統と未来とに祝福されて

その年の十月、彼は自らのカーネギー・ホールのステージにリトル・ジミー・スコットを招待する。一九二五年生まれ、伝説のブルーズ/ジャズ・シンガーは、正装し、車椅子で4曲を歌いきったという。アントニーとは正反対にも近いようにも思えるリトル・ジミー・スコットに、このような形で後継者が現れるとは。歴史はそれほど簡単には終わらないものなのだ。さらに〇六年のレナード・コーエンのトリビュート映画『I'M YOUR MAN』では「If it be your will」を、〇七年のボブ・ディラン映画『アイム・ノット・ゼア』では「天国の扉」を披露し、シンガーとしての世界的な評価は確たるものとなる。ひとつの歌や一枚のアルバム、一回のステージが巻き起こしていく音楽のドラマと物語。アントニーがポップ・ミュージックやアートが持ち得た偉大な伝統に祝福された存在であることを強く印象づける出来事だった。

このことはアントニーの音楽に反応するオールド・ファンの多さにも現れていると言えるだろう。しかし彼は決して懐古主義者ではない。彼の表現には、ある種の保守性やマイナー/土着へのこだわりのような鬱陶しさが皆無なのである。

今回のコンサートも、ウィリアム・バジンスキ(ラスタ・ノートンからも作品をリリースしている)の音響によって必要以上の湿り気は避けられていたし、ビョークやニコ・マーリー、マイケル・キャシュモア(カレント93)、そしてNYのディスコグループであるHerculesAnd Love Affairなど、彼を囲む多くの顔ぶれにも懐古色はまるで感じられない。また〇九年に行われたオーケストラとのマンチェスター公演は、ポール・ノーマンデールとクリス・レヴァインによる見事にシャープなステージとライト・デザインに彩られ、未来的とすら形容できるほどのものだった。

そのような独特の位置にあるアントニーが、大野一雄への愛と尊敬とを率直に語る。彼は大野のポートレートをEP『AnotherWorld』と最新作『ザ・クライング・ライト』のカヴァーに飾り、タイトル曲は前述の通り、“私は貴方を崇拝するために盲に生まれた”と狂おしい。過去と未来とが、その表現のなかで新たな姿を見せ始める。国境と記憶とを超え、私たちは私たちの知らなかった「舞踏」を知る。

しかしそれにしても、そのツアーの最終公演が大野親子との共演として実現するとは。ここまで良く出来た物語があるだろうか? 限りないほどの空間と時間の中で私たちは行き逢う(生き、会う)。途方もなく絡み合い、想像を絶するほど入り組んだ関係性と無関係性のなかで、縁ある人々は本当に細い糸をたぐり寄せ合う。それはまさしく奇縁というに相応しいものだ。しかし、その出会いが実際に何かの形を残せることは文字通りに奇蹟である。さらにそれが素晴らしいものであることの確率は──。

改めて記されなくてはいけない。今、アントニーは、間違いなく全ての伝統と未来とに祝福された存在である。この奇蹟を、人類の宝物がこの惑星に存在することを、心から喜びたいと思う。