james chance interview俺はエルヴィス・ブラウンだ /
ジェームス・チャンス・インタヴュー(2005)

インタヴュー:熊谷朋哉
通訳:酒井翠
初出:THE DIG Vol.42, 2005
協力:wind bell / Hillstone、Tsuyoshi Kawasoe

ブライアン・イーノとの出会いと“NO WAVE”の始まり

◎その後あの『NO NEWYORK』を作る経緯はどのようなものだったんでしょう。イーノとはどう出会ったんです?

「ブライアン・イーノと会ったのは、『NO〜』を作る半年前だったね。俺のガール・フレンドだったアニヤ・フィリップスが同時に彼ともつきあっていた(笑)。その頃ソーホーのアーティスト・スペースというロフトでノー・ウェイヴのフェスティバルが開かれて、もちろん俺らも出た。その頃から俺はオーディエンスを殴るというパフォーマンスをやっていて、その時はロバート・クリスゴウ(音楽評論家)を殴ったのを覚えている(笑)。それを客として来ていたイーノが見てたんだ。それでそういうミュージシャンを集めたアルバムを作ろうと思ったらしい。でも、直接イーノからアルバム云々について言われたことはなかった。周りからなんとなくそういう話が聞こえてくる程度で。で、ある朝、メンバーが俺の部屋のドアを叩いて来て──というのは俺は電話を引いていなかったから──今日レコーディングらしいよと。それで急いでスタジオに駆けつけて、その日の午後だけでレコーディングを終えたんだ。全部一発録り。オーヴァーダブもなにもなく、ライヴみたいにね」

◎『NO NEWYORK』というタイトルは誰がつけたんでしょう? そもそもノー・ウェイヴという言葉もそうなんですが。

「昨日もちょうどバンドのメンバーとそういう話をしていたんだけどね。(ドラムの)ドンが主張するには、彼こそがノー・ウェイヴの名付け親らしい(笑)。俺はどこかのライターがつけたんだと思っていたんだけどね。『NO NEWYORK』のタイトルは、レコーディングのあとにバンドの連中が集まって話しながらそう決めたような記憶があるね」

ジェームス・チャンスとNY

◎次にZEからアルバムを発表しますね。

「マイケル・ジルカ、こいつはとても金持ちの息子なんだけど、彼が1978年の終わりから79年にかけてレーベルを立ち上げていて。それで1000ドルを持ってきて“君たちがディスコ・アルバムだと思うものを作ってくれ”と。当時の俺らにとっては大金だったよ」

◎ディエゴ・コルテッツの映画『GRUTZI ELVIS』のために、貴方はピル・ファクトリー名義でサウンドトラックを作っていますよね。あの映画は公開されていませんが、ZEのミュージシャンたちも出演してるんでしょうか?

「あの映画は結局完成しなかったんだよ。映画に参加していたのはジョージ・スコットとかブラッディフィールドとかアート・リンゼイあたりだね。ZEのミュージシャン達とは知り合いという程度で、実はそれほど深い付き合いがあったわけでもなかったんだ」

◎当時のNYにはとても凶暴で暴力的なイメージがありました。当時の貴方の音楽やパフォーマンスは、そのNYのイメージをある意味で象徴しているようにも思えたんです。その関係についてはどのように思われますか?

「NYは今じゃアメリカの他のどの都市よりも安全だけれど、当時は実際に凶暴な街だった。俺だって4回くらいは強盗に遭ったしね。でも俺はそういう凶暴なNYのほうが好きだった。でも、面白いと思うのは、すごく危なくて怖いところだと思われてはいたんだけれど、言われるほどではなかったんだ。みんな実態をわかっていないだけでね、イメージが先行していたんだね。今だって、ロスあたりのほうが危ないと思うよ」

ジェームス・チャンスを殴ったのは誰か?

◎『NO NEWYORK』の裏ジャケットには殴られた痕のある貴方の写真が出ています(裏ジャケット写真)。これを見て、私はずっと、ジェームスさんってすごく怖くて暴力的な人なんだろうなと思っていたんですが、こうして話しているととてもジェントルな人なので驚いています。で、これは殴らないで教えて欲しいんですが、この時に貴方を殴ったのは誰なんです? なにが原因で喧嘩したんです?

「(爆笑)実は俺も思い出そうとしているだけど、覚えていないんだよなあ。(オリジナルのギターの)ジェームスあたりと一緒に夜の街に出て殴られたよう記憶があるんだけど、当時はベロンベロンに酔っぱらっては喧嘩ばっかりしてたからね。ともかくこの写真はメイキャップじゃない、本当に殴られた痕だよ。それから、俺はとても優しい人間であることを主張しておきたい」

◎よーくわかります。ところでジェームスさんって、銃は持ってますか? 当時持ってました?

「(笑)ないよおお。一回もないよ」

◎そういうジェームスさんにとって、9.11以降、保守化が進むNYについてはどのように思われます?

「テロ以前から、90年代からすでに保守化は進んでいるよね。ジュリアーニが市長になってからはずっとそうだ。今のNYは昔よりもずっと安全なぶん、ずっと退屈だ。ただの金持ちのための街になってしまったよ。70年代後半のNYは、お金なんてほとんど持ってなくてもなんとか生き抜くことが出来た街だったし、だからこそみんなが集まってきたんだ。今ではすっかり変わってしまったね」

俺はエルヴィス・ブラウンだ

◎そういうNYで今もジェームスさんは音楽を作っているわけですが、音楽に対する姿勢は変わりましたか?

「うーん、今、音楽は全てがなされてしまったからね。若い人達は新しい音を作ろうと頑張っているけれど、彼らを羨ましいとも思わない、本当に新しいものを作ることが不可能だということはわかっているから。でも、自分のやっている音楽は今でも新しいと思っているよ」

◎'05年の秋には新作(JAMES CHANCE & TERMINAL CITY『GET DOWN AND DIRTY!』)もリリースされます。貴方の音楽はどうして今も新しいんでしょう?

「とてもオリジナルだからだろうね。チャーリー・パーカー、ビートルズ、オリジナルなことをしていた連中の音楽が古くなることはないだろう? 俺の音楽はいわゆるノーマルな音楽ではないし。コードにしても、作曲にしても、普通のロック・バンドとはかなり違っていると思うよ」

◎最後の質問です。朝起きたら自分がエルヴィス・プレスリーになっているのとジェームス・ブラウンになっているのとでは、どちらがいいです?

「(ニヤリ)いい質問だ……。そうだな、エルヴィス・ブラウンがベストだ」