patti smith2003年のパティ・スミス──回収しきれぬなにかのために

文:熊谷朋哉
初出:The DIG no.38 (2003 Summer)

ポピュラリティ、完成度、そして業

2003年7月17日、久々にパティ・スミスの来日公演を目にすることができた。ステージは"ハロー・エヴリバディ!!"とにこやかに叫ぶパティの姿とそれに応えて突き上げられた観客の無数の両腕で幕を落とす。あれほど観客の両腕が上がって迎えられたライヴは本当に久しぶりだったかもしれない。

インタビュー時にも感じられたが、とにかく今回の彼女は風通しが良い。ここまでふっきれたような明快な笑顔とパフォーマンスは、今までの彼女のステージには見られなかったものだ。そして充実した彼女自身の歌唱に併せ、客電や映像による演出がとても意識的かつ効果的に用いられていたのが印象的だった。

プルーストのような口ヒゲを生やしたレニー・ケイ、カルバン・クラインのモデルもこなすオリヴァー・レイという、老若アメリカ美男ギタリスト2人をフロントに従えたバンドも熱い。ベースのトニーは今ツアーでは後方に座ってピアノも担当。それにより、バンド全体が'97年の初来日公演よりもかなり振幅と彩りのある演奏を聴かせられるようになっている。そしてパティが「この人以外のドラマーと仕事をしたことはない」と語るジェイ・ディー・ドゥーティのドラムも相変わらずパワフルだ。

代表曲、そして近作からの佳作を織り交ぜながら進んでいく本編で最も客席が盛り上がったのは、アレン・ギンズバーグに捧げた"スペル"だったろうか。ギンズバーグやバロウズの映像を次々に流し、ミニマルかつ熱い演奏を反復させながら、ギンズバーグ"Howl"の一節を叩き付けるようにパティは朗読する。アメリカン・アート・アジテーションとでも言うべきテンションのなかで、最後に出てくる映像はなんとギンズバーグとバロウズに挟まれた若きパティのスリーショットの写真という力業。見なさいよ!と言わんばかりのこの演出に、観客は両腕を挙げて応えるしかない。ほとんど標的を10cmの距離からショットガンで打ち抜くかのような、あなたたちが求めているのはこれでしょうとでも言うような、観客全ての感傷と感情とを一気に鷲掴みにする、非常に完成度の高いステージが展開されていく。

幸せそうなステージだったのも印象的だった。以前のちょっとアンバランスだったり必要以上に尖ったりすることのない、社会性のある(?)、とてもバランスの取れたパフォーマーに成長したように思う。とはいえ単に丸くなったということでは全くないのがこの人の底力というか業の深さだろう。やはりアンコールの"グロリア〜ロックン・ロール・ニガー"に於ける凶暴な磁気は未だに顕在だった。そのメッセージとは裏腹に──単純に平和を平和に歌うシンガーではなく、暴力的に平和を歌うシンガーとでも言おうか。彼女はステージ上を転がって絶叫し、バンドは咆哮し、一種のカタルシスとともに私たちは会場を後にする。

自らや自らの言葉をあれだけ解き放つことは、私たちふつうの社会生活者には難しいことである。パンクは表現を「群衆」に戻そうとしたが、しかし当然、その中で価値のある表現をものすることができるのは一握りだ。

現在のパティの表現の完成度の高さとその支持の強さは、その点で言えば、過去からのスターシステムと同じ構造であると言っていいだろう。しかしながら、硬軟併せ、自らの言葉、自らの存在をあれだけのテンションで観客に向けて放つことにある恐るべき自信と意欲、そしてもうひとつのなにか。そこには単に才能と戦略があるというだけでは足りない、それ以上の歪んだなにかがやっぱり必要になるはずだ。筆者は今もそのなにかを、もはや震えることもなくなった力強い歌声の中に探している。