keith leveneキース・レヴィンの素顔──彼は複数形で存在する /
days with Keith Levene (2009)

インタヴュー:熊谷朋哉(SLOGAN)
通訳:更科留衣

日本語を学ぶキース・レヴィン

筆者のどこを彼はお気に召してくれたのか、その後も毎日のようにやりとりは続いた。一度はこちらが実家にいるときにSKYPEがかかってきて、キースが筆者の両親と話をすることにすらなってしまう。あのキース・レヴィンが、息子の部屋から流れる音響以外にはパンクとは全く無縁な人生を歩んだ二人と笑顔で話す光景には、どうにも不思議なものがあった。

しかしそんなことにも良い面はあるもので、キースの側も自分の母親(の死)のことを、いつも応援してくれている妹のことを、そして伝統の大切さとを語り出す。

「貴様には両親が健在で羨ましい。母が亡くなった時は辛かった。妹はずっと俺のことを応援してくれている。母が俺のことを理解してくれたのは彼女のおかげだ。親父と妹はなかなかのテーラーで、彼女がPILの衣装を作ってくれていたんだ。服作りの才能は遺伝かもしれない。伝統と戒律(ディシプリン)はなによりも大切だ……。ある文化を尊敬することは大事なことだ」

彼がアマチュア時代にイエスのスティーヴ・ハウのローディを務めていたという事実からは、もちろんこういう発言は意外なものに思われないだろう。しかし、パンク以後の新たな混沌へと果敢に踏み込んだグループのコアにこのような意識の持ち主がいたことは改めて(強調し過ぎない程度に)確認されていい。

「俺は15歳で学校を飛び出した。後悔しているがね。それからは、今も、まるで学生のようにあらゆることを勉強している気がする。ギター、バイク、物理学、プログラム、3DCG……。俺はなんでもやってみたい。建築の設計がしたいんだ。そうだ、日本語も学ぶことにしよう。俺に日本語を教えてくれるか?」

筆者に断る理由はない。果たして彼との会話に於いてはコンニチハ、オヤスミ、マタネが繰り返されることになった。そして筆者の立場は異邦の一ファンから日本語の先生へと昇格する。

ファック・オフ!!

しかし彼がそんな微笑ましい姿を見せるばかりではなかったことも事実である。筆者はロンドンに飛ぶことを考えていた。家族ごとのつきあい(?)になってしまった彼だ、一度は直接顔を合わせなければならないだろう。実際にどうなるかはあとのこと、やはりこれだけの好意には応えなければならない。

キースにそれを伝え、スケジュールを策定し始めたころから、彼の側にいくつか不可解な動きが出てきた。家の近くにホテルを取るから住所を教えてほしいと伝えるも、それに関する返信だけは届くことがない。住処に対する警戒心があるのかもしれない。筆者は探求を諦める。またもう一つ、完璧なコミュニケーションのために通訳を準備してほしいとも語る彼。早速現地の通訳アシスタントを確定してそれを伝える。

しかしロンドンに旅立つ本当に直前に、キースがスウェーデンに住む人物と話してほしいと言う。彼はキースのファンで、日本に留学経験のある人物であるらしい。その彼は語る。キースから通訳の依頼を受けた、でも大学生でお金がない、ロンドンまでのフライトに500ユーロかかるが、ひいてはそれを負担してもらえないだろうか?

こちらは困惑する。すでに通訳は依頼済みで、それはキースに伝えてある。フライト代は理解できるものの、やはりこの状況で500ユーロを負担するのは荷が重い。しかし彼はキースが直接の依頼を行った人物である。さてどうすべきか。筆者はスウェーデンの彼に伝える。ちょっと待ってくれ、予算オーバーなので一度キースと相談させてほしい。

彼との通話を一度切り、数分後にキースとSKYPEを繋げてみれば、いきなり激昂する彼が姿を現した。

「奴は貴様に金を要求したそうだな!? あり得ない。ふざけるな、奴にはすでに退場してもらった。悪かったな。あんな奴を信じることはできない。ファック・オフだ!!」

激しく怒るキース・レヴィン。それは芸術の領域を下卑た金の問題で汚されたことに対する怒りであるように感じられた。筆者にとっては問題は解決したわけだが、その一方的なまくし立て方と少し短絡的であるようにも思えるその行動、そして振幅の大きさには、渡英を前にして小さくはない不安を覚えずにはいられないものがあった。

しかしこの件は、彼の、余りに長きに渉る孤独について考えるきっかけにもなった。本人も語る通り、“裏切られて”ばかりの感慨の十数年、いや、もしかしたら30年近くですらあったのかもしれない。思い通りにならないことも多かっただろう。様々な期待は失望に変わり、好意は悪意へと変わり果てる。あれだけの才能と意欲を持ちながら、沈黙に近い状態を強いられた時間の長さはいったいどれくらいのものだっただろう?

まだ筆者には見ることができない多くのものを十分に見た眼差しを以て怒り、語り続けるキース・レヴィン。見るからに繊細そうなこの人物が抱えたものの大きさを思って胸が痛む。

とにかくここまで来たら致し方はない。全ての結論は、直接彼と会ってからだ。筆者は取るものもとりあえず、ただ彼と会うためだけにロンドンに飛んだ。

キース・レヴィンを待ち続ける

ロンドンに着き、キースとの連絡を行う。午前10時におまえのホテルに行くよというキース。パンク・ロッカーって早起きなんですねと笑う通訳アシスタント嬢。ステレオタイプなパンク・ロッカーよりもっとパンクな人だからねと返す筆者。

ホテルのロビーで彼を待ち始めてみると、しかしなかなかそれらしき姿が現れることがない。2時間が過ぎ。携帯に電話をしても繋がらない。当日になってのドタキャンか。それもそれで彼らしいとも言えるだろう。一度諦めて部屋に戻ると、彼からのメールが入っていた。

「ごめん、あと1時間かかる。起きたら10時半だった。ごめん」

……キースが謝っている。文体も結構かわいい。やはり彼にはこちらと会う意志があるようだ。急いで階下へと戻る。

結局さらに2時間が過ぎた頃、痩身、メガネを掛けた人物がレセプショニストに必死になにかを話しかけている姿が目に入る。

あれだ。彼が、あのギタリストだ。あの人があのリフを弾いた男だ。キース・レヴィンだ! 本当に彼は来てくれた!! 思わず彼の名を呼んで駆け寄る私。彼もこちらに気付き、私たちはお互いを確認する。09年10月17日14時13分、キース・レヴィンとの接見に成功。実際に、あの彼が、この目の前に立っている……。

改めて対峙するキース・レヴィンは、優しい眼差しと恐ろしく高い鼻が目立つ人物だった。今年で52歳になる彼ながら、年齢よりも若くも、しかしどこか老けても見える。後述するが、この日の彼には少しの弱々しさと荒れた何かが感じられた。手の甲、まぶたには血管の腫れが浮かび上がり、少しばかり落ち着きに欠けている気もする。しかし彼は丁重に時間に遅れたことを謝り、筆者の訪英に感謝の意を述べる。本当にキースが目の前で話している。正直、この現実を理解することには少しの時間が必要だった。